道端の地蔵を気にする人も少なくなった今日、なお地蔵信仰が根強く残る地域がある。田瓶市だ。 そもそも地蔵とは地蔵菩薩というれっきとした仏である。一般に仏の像は如来、菩薩、明王、天部という序列があるが、”お地蔵さま”は釈迦が悟りを開くまでに人々を救う姿を象った「菩薩」に位置づけられる位の高い仏だ。それが道端に置かれ親しまれるようになったのは日本の神「道祖神」と習合したためである。 神仏習合とは仏教伝来の過程で日本の土着神祇信仰(神道)と渡来の仏教信仰(仏教)を同一視するものとした10世紀前後の観念が基本となっている。仏や菩薩が市民を救済する際に神道の神に姿を変えて現れるといわれており、これを本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)と呼ぶ。このとき道祖神の本地仏(元の仏)として選ばれたのが地蔵菩薩であり、以降お地蔵様と道祖神の区別は曖昧になっていった。 道祖神は「岐の神(くなどのかみ)」とも呼ばれ、道の分岐点や村境において一種の結界の役割を果たす。同一視されるお地蔵様も同様の力を持つとされるが言い換えれば、「閉塞状態に閉じ込めておく」神であるとも取れる。田瓶市は全国を見ても稀に見る地蔵が多い地区だが、強い信仰により地蔵が市民にとって精神的に重要な意味を持つということは想像に難くない。何から村を守るために(あるいは、村の何を外に出さないために)あれほどの数が置かれているか、という学術的問題については未だ定説と呼べる学説はなく今後の研究の成果が待たれている。
地蔵信仰の光と闇
October 15, 2016